プロフェッショナリズムの後退
プロフェッショナルという言葉を聞く機会は多いが、プロフェッショナリズムとなるとまだ人口に膾炙していない感が強い。プロフェッショナリズムとは、プ ロフェッショナルがその道の専門家としての気概を持って仕事を果たすことだと説明される。しかし、私は、この説明では不十分だと考えている。プロの仕事を 受容する側も、プロの仕事を認知し、尊重する態度がないとプロフェッショナリズムは成立しない。仕事を発注する側と受ける側の間に存在する緊張感と信頼が プロフェッショナリズムを育むのである。
現代の日本社会では、プロフェッショナリズムが後退していると言わざるを得ない現象が各所で見られる。テレビをつけると、コメンテーターと称する人物が あやふやな知識を振り回しているし、素人が拙い日本語を恥ずかしげもなくわめき立てている。法曹の世界では、裁判員制度が導入されようとしており、一般人 が犯罪者の判決に参加することを求められている。その道の専門家をていねいに育て、その人の能力と高い見識を信頼して任せるという気風が失われていく状況 は、日本社会が抱える大きな問題の一つである。
なせ、このようになってしまったのだろうか。私は、次の3点が原因だと考えている。(ア)短期間で結果を求める傾向が強まっていること、(イ)インター ネットが普及し、大量の情報が迅速かつ安価に手に入るようになったこと、(ウ)何にお金をかけるのかという価値観が変化していること。
短期で結果を求める傾向
バブル崩壊後、スピードが大切だと言われることが多くなった。経営上の好機は、そう頻繁に巡ってくるものではない。チャンスは、タイミングよく捕まえな いとすぐにどこかに行ってしまう。「幸運の女神には前髪しかない」というのは西洋のことわざだが、他の企業が気づく前に動かないと、好機を逃してしまう。 バブル崩壊で疲弊した日本企業にとって、業績回復の機会は喉から手が出るほどほしかった。
深い洞察から得られた見通しではなく、とりあえず目の前の果実を取りに行こうとしてきたのがここ15年くらいの企業の動きである。この企業行動は、一般 人の生活にも影響を与えている。じっくり考えて行動するとか、ゆっくり議論して熟成するのを待って乗り出すといった手法は「時代遅れ」だとされ、軽薄短小 がいいことだとされるようになった。
いいものを作ろうとしたら、時間をかけないとできない場合がたくさんある。伝統工芸の世界で、1ミリの幅に10本の線を書くような細かい作業は根気と時 間を必要とする。一日中機織りに向かっても1㎝しか進まない布もある。この世界にスピードを求めると、見栄えはいいが価値のないものしかできなくなる。プ ロの仕事とは、そういうものである。短期で結果を求められると、プロとしての仕事の品質と納期の間で苦悩することになり、いい結果は出てこない。プロの仕 事には時間が必要である。
インターネットの普及と情報の入手
インターネットは、情報の宝庫だと言われる。確かに、検索サイトにキーワードを入れると、瞬時にさまざまな情報が手に入る。情報の真偽を別にすれば、入 手できる情報量は格段に増えた。しかも、それらの収集にコストがかからないという利点がある。しかし、インターネットで得られる情報には落とし穴も多い。 玉石混淆とはまさにこのことである。
情報を受け取る側に、どの情報が正確かを判断する基準があれば問題ないが、そのような判断基準を持たない人がインターネットの情報を利用しようとする と、大きな失敗を犯すことになる。また、インターネットに載っている情報は、誰かの手を経た情報である。他人に知られたくない情報は、まず載せないだろ う。とすれば、インターネット上の情報には玉よりも石が多いことになる。
情報が少ないときは、プロの助けがありがたい。旅行に関する情報がいい例である。海外旅行が珍しかった頃は、日本国内で手に入る情報に限りがあったた め、旅行代理店が頼りになる存在だった。しかし、最近のように海外の情報を手軽に入手できるようになると、個人で海外旅行を計画する人が増えている。そう いう人たちの中に、現地に行って戸惑う人たちがいる。インターネットに載っていた情報と違うと言って怒り出したり、途方に暮れたりするのである。
状況は毎日のように変わるのに、インターネット上の情報は3年前のものだったということが珍しくない。海外のサイトは、日本のサイトのように頻繁に情報 を更新しているところばかりではないからだ。公に名前の知られた組織でも、1年間情報を更新しないところもある。現地に行って計画通りに移動できないこと を知り、余計なお金を使わなければならなくなった例とか、計画の半分しか見られなかったという例はたくさんある。
情報が不確実なときに頼りになるのがプロである。予期しない事態が起こっても、これまでの経験を総動員して対処してくれる。何事もなかったかのように進 んでいくのがプロの仕事である。素人は、それを見て、「プロにわざわざ頼まなくてもいいのではないか」と錯覚してしまうが、それは大きな間違いである。落 とし穴にはまってから臍をかんでも遅いことは、痛い目にあった人でないとわからない。。
何にお金を使うのか?
第二次大戦後、金持ちのお金の使い方が下手になったといわれる。いわゆる成金が増え、稼いだ金を貯め込んだり、私的な欲望を満たすだけに使うようになったからだという。第二次大戦前の金持ちは、文化や公的に役立つことを考えてお金を使っていた。
伝統工芸の世界では、一つの作品をつくるのに1年以上かかることがざらにある。1年間、複数の職人を食べさせるにはそれなりの金額が必要である。結果と して、一つが何千万円もするような品物ができあがる。それを金持ちが買っていた。買ってくれる人がいるから職人はものを作ることができ、その技能は次の世 代に受け継がれていった。
この循環が第二次大戦後、弱くなってしまった。戦前の金持ちが没落し、代わって、文化にお金を使う伝統を持たない人たちのところにお金が集まるように なった。そのお金は、さらなるお金を産むために、国内外の株式や債権に投資され、文化にはまわらなくなった。作るものが少なくなれば、職人が腕を磨く機会 が減るし、弟子に教える機会も減る。価値のあるお金の使い方ができなくなったことと、プロフェッショナリズムの衰退は無関係ではないと思われる。
最近の小さな変化
悲観的なことばかり書いてきたが、ここに来て、少し変化の兆しが見えてきた。一つは、スローフードやスローライフが見直されていることである。まだ一部 ではあるが、スピードばかりが能ではないという考え方が再び市民権を得てきた。また、貯蓄額の多い中高年層の増加に伴って、ホンモノ志向が強まっているこ とも見逃せない。金銭的に余裕があるため、若い頃に買えなかったものをいま手に入れて、豊かな生活を送ろうとしている。これらの動きは、社会的に大きなう ねりになるところまではいっていないが、プロフェッショナリズム再生に向けた一歩になる可能性がある。
プロフェッショナリズムは文化である。プロフェッショナリズムを尊重しない国の文化は底が浅くなる。底の浅い文化は、他国から尊敬されない。日本が尊敬される国であり続けるには、プロフェッショナリズムの再生が不可欠である。
投稿者プロフィール

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法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール
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