ガルブレイスについて

『ガルブレイス』を読み始める


 この夏、リチャード・パーカーが書いた『ガルブレイス―闘う経済学者』を読んでいる。研究室の本棚に長らく飾ってあったのだが、ようやく手に取ることが できた。この本は、原著も翻訳も2005年に出されている。ガルブレイスについて詳細に書かれた伝記である。上中下の三巻本で、一巻が約450ページあ る。現在、中の半分を過ぎたところだから、ちょうど全体の半分まで来たことになる。

 上巻は、大恐慌から第二次大戦の時代のガルブレイスについて述べられている。正直なところ、第二次大戦前までの章は読みにくかった。最大の理由 は、私自身にその時期の知識がないことである。世界史で習った程度のことしか知らないので、読み方が浅くなってしまう。「本を読むとは自分を読むことだ」 といわれるが、まさにそれを実感した。
自分の無知を思い知らされる


 興味を持ち始めたのは、第二次大戦中以降である。特に、敗戦国日本に爆撃の効果を測定するために派遣された調査団の一員として来たあたりはとてもおもし ろかった。アメリカの心ある人たちの客観的分析によれば、(ア)1945年以降の都市をねらった爆撃は住民の殺傷以外の何ものでもなかったこと、(イ)ド イツに対して躊躇していた一般市民を対象とした爆撃が、日本ではほとんど躊躇することなく敢行されたこと、(ウ)原爆を使わなくても1945年の11月ま でに日本は降伏したであろうことが明らかにされたという。ガルブレイスは、その調査団の主要メンバーであり、戦争の勝利に空軍力はあまり貢献しなかったこ とを報告書にまとめた。しかし、そのような報告は軍の不評を買うことになり、最終報告書は相当ねじ曲げられた形でしか公表できなかったそうである。


 私は、日本が爆撃されたのは仕方ないことであり、それが原因で日本は負けたと思い込んでいた。私の認識は誤っており、戦後教育に毒されているなと感じ た。あれだけ残虐なことをしたドイツにできなかったことを、日本人にはいとも簡単に実行したというのは、白人の根底にある有色人種蔑視の心情を見たように 思う。おそらく現在でも根強く残っているだろう。


数式を使わない経済の話


 私がガルブレイスに惹かれるのは、数式を使わずに経済を論じているからである。ガルブレイスは、さまざまな主体が絡み合って動いている人間社会を単純な 数式で分析できると考えるところに理論経済学の間違いがあると指摘する。経済学は、合理的に行動する人間を前提として理論を組み立てるが、人間とはおよそ 非合理的な存在である。経済は、そのような人たちによって営まれているのだから、合理性を前提にした経済理論が人間社会の動きを的確に開明できるはずがな い。木を見て森を見ないのが経済理論である。大切なのは全体を見る力であり、混沌とした中から全体を律している一本の筋を析出することである。これができ るか否かは、まさに洞察力の勝負である。


 私は、かねてから、高度な数式で経済を論じることに違和感を抱いていた。数理経済学者たちに、「こういう場合は説明できないではないか」という質問をす ると、決まって「完璧な理論はあり得ない。8割くらいの現象が説明できれば十分である」という答えが返ってきた。確かに8割の現象は説明できているかもし れないが、残りの2割はどうなるのだろう。残り2割の中に重要な真実が隠されているとすれば、数理経済学は最も大事な部分を説明できていないことになるで はないか。


 数学大流行の経済理論の分野でこのような意見を言っても、負け犬の遠吠えとしか見られない。でも、どんなに批判されようと、複雑な人間社会を説明するに は、パターン化と例え話が有効だと私は考えている。経済学者だけにわかる言葉で書いたものではなく、普通の人が読んでわかる言葉で書くことが私の使命だと 思う。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
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