資格取得と能力開発

自己啓発をする理由の第3位が資格取得


 図は、2005年に厚生労働省が行った「能力開発基本調査」からとってきたものです。この調査は、2001年から実施されるようになり、毎年、能力開発 の基本方針や自己啓発について調べています。企業に対する調査と個人に対する調査の二つからなっており、日本企業の能力開発の現状を知る基本的な統計で す。


 個人調査の中で、自己啓発を行っているか否かを尋ねています。最新の2005年調査の結果にはその数値が載っていませんが、2004年までの結果を見る と、回答者の約35%が何らかの自己啓発を行っていることがわかります。自己啓発をしている人に対して、何のために自己啓発をしているかを重ねて尋ねてお り、図は2005年の結果を示しています。


 最も多い回答は、「現在の仕事に必要な知識・能力を身につけるため」であり、正社員の約8割、非正社員の72.5%が選択しました。2番目は「将来の仕 事やキャリアアップに備えて」で、「資格取得のため」は第3位になっています。資格取得は、実際の仕事をする能力を高めるためにどれくらい役に立つので しょうか。

自己啓発の目的データ

 

資格の種類
 

 公的な職業資格には、大きく分けて次の4つがあります。(ア)その職業に就くために持っていなければならない資格(医師、薬 剤師、弁護士、税理士など)、(イ)ある仕事をするために法律等で所持が義務づけられている資格(危険物取扱者、電気工事士など)、(ウ)一定規模以上の 事業所や職場ごとに資格保有者の存在が法律等で義務づけられている資格(衛生管理者、電気主任技術者など)、(エ)持っていてもいなくても、仕事を進めて いく上で支障のない資格(中小企業診断士、簿記検定など)。公的な職業資格の認定をするのは、通常、政府の省庁や関連団体から認められた機関です。筆記試 験や実技試験を課し、一定の成績をおさめれば、資格が付与されます。


資格が証明してくれる能力とは…


 資格は、その分野の知識を一定水準以上持っていることを証明してくれます。関連する法令や基本的な原理原則について知っていることの証明になります。では、この証明は、仕事をしていく上でどれくらい役に立つでしょうか。


 仕事をする上で必要とされる能力は、問題を発見し、その原因を探り、解決策を立てて実行する能力です。解決策がうまく機能しなければ、修正を加えて再度 挑戦し、最後まであきらめることなく突き進むことも重要です。資格は、原因の追究方法や解決策の立て方を知っていることの証明にはなりますが、それを実行 していく力があるか否かは証明してくれません。知識があっても、それを活かす行動力がなければ、よい職業人とは言えません。


 このように、資格は最も大切な職業能力を証明してくれないにもかかわらず、多くの人が資格を取りたがります。大学生も、講義を休んで専門学校に通って、資格を取ろうとしています。人々は、なぜこのような行動をとるのでしょうか。


パニック状態資格取得症候群


 私は、雇用不安が高まると、「パニック状態資格取得症候群」にかかる人が増えると考えています。景気が悪くなり、失業率が高くなると、人々は雇用に対す る不安を感じるようになります。いまの仕事がなくなったときに、他の企業に移れるだけの能力を身につけておかなければいけないと考えるようになります。前 回お話しした「社会的に通用する能力」です。


 社会的に通用する能力が必要だということは理解できても、具体的にどうすれば社会的に通用する能力が身につくのかについて、誰も何も教えてくれません。 人々は、「何かしなければ落ち着かない状態」に陥り、気持ちを鎮めてくれるものを探します。そのときに目に入るのが「資格」です。


 資格を取るためには、一定の努力が必要です。また、資格はひとつの明確な目標であり、目標達成のためにしなければならないことも明確です。資格の勉強を していると充実感を感じ、不安感を紛らわせることができます。その資格を取ったからといって、直ちに社会的に通用する能力が高まるとは思っていないけれ ど、不安感を抑える効果は十分期待できます。かくして、雇用不安はパニック状態に陥る人を増やし、資格取得をめざす人を増やすのです。


資格取得の賢い使い方


 もちろん、資格取得はまったく意味がないわけではありません。私たちは、毎日の労働の中で、さまざまな経験を積み重ねています。それは、ちょうど、大き な袋の中に経験という玉を放り込んでいくようなものです。最初のうちは、袋の中身が少ないので、必要なものを取り出すのにあまり時間がかかりませんが、2 年たち3年たつうちに、袋がいっぱいになってきて、何がどこにあるのかがわからなくなってきます。すぐに取り出せない資料は、持っていないのと同じである ように、これからの仕事に活かせない経験は経験したことがないのと同じになってしまいます。


 資格取得は、経験してきた内容を整理し、いつでも取り出せる状態に並べ替える上で有効です。経験でいっぱいになった袋を空にして、必要なものとそうでな いものを分類し、必要なものは所定の場所に収納し、いつでも取り出せるようにします。資格取得のためには、理論や制度を勉強しなければなりません。これま で、経験を頼りに何気なく処理してきたことの背景に、壮大な理論体系が潜んでいるのを発見したとき、仕事への理解が一層深まるはずです。資格取得は、この ように使われてこそ価値があります。
実務経験で鍛えられていない資格は、ほとんど意味がありません。闇雲に資格を取るのではなく、自分自身の職業能力を整理し高める上で何が有効かをよく考えて、取り組まれることをお奨めします。
(N社ホームページ向けエッセー第5回)

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール