能力開発5つのポイント(上)―生涯現役であるための秘訣―

 私たちは、65歳まで働くことを視野に入れて、職業人としての能力を維持・向上することを求められています。昨年50歳になった私にとって、65歳まで あと15年あります。私は、大学院のドクターコースを出てから働き始めたため、職業経験年数は22年です。15年というと、それに近い期間になります。

 20歳過ぎから働いてこられた方にとっては、これまでの経験年数の約半分にあたる期間がまだ残されていることになります。「まだそんなにあるの か」とため息をつく方もいらっしゃるでしょう。あるいは、「まだそんなにあるのだったら、複数の新しいことに挑戦できるな」ととらえる方もおられると思い ます。コップのお酒が半分になったとき、「あと半分しかない」と考えるのか「まだ半分もあるぞ」と考えるのかで、次の行動が変わってきます。私たちは、残 された職業生活の期間をどうとらえ、どのように生きたらいいのでしょうか。


 今回と次回で、生涯現役であるための秘訣をお伝えしたいと思います。私は、これまで、いきいきと働いている50歳代半ばから60歳代の方々にインタ ビューをしてきました。その数は、20数人になります。その方々からお聞きした話を整理した結果、生涯現役であるためには、次の5つのポイントが大切らし いことが明らかになりました。


 (1)若いときに自分を成長させてくれるような仕事にめぐりあったこと、
 (2)早い時期に、仕事上の目標となる先輩や上司をみつけたこと、
 (3)ある程度実務を経験した後、仕事全体が見渡せるようなポジションに異動になったこと、
 (4)新しい仕事を任されたときに、関連の資料を読みあさるなど寝食を忘れて勉強したこと、
 (5)仕事を進めていく上で、常に中長期の目標を持っていること、

 今回は、最初の2点についてご紹介したいと思います。

 


 ポイント1:若いときに自分を成長させてくれるような仕事にめぐりあったこと

 機械製造会社X社に勤務するL氏は、勤続38年のベテランです。高校を卒業後、X社に入社し、繊維機械の組立職場に配属されました。38年間、一貫して 組立職場で働いてきたL氏は、地元自治体が認定する「現代の名工」に選ばれるほどの腕前の持ち主です。L氏は、入社後、組立職場に籍を置きながら、設計の 仕事やサービス営業の仕事も経験しました。また、繊維製造会社に出向し、X社が作った機械が実際に使われている現場で働いて、紡績の技能を身につける機会 も与えられています。

 L氏が職業人としての高い専門知識を築く基礎となったのは、入社後3年目から担当した海外での機械据え付けでした。繊維機械 は、発展途上国の企業が顧客になる場合が多くあります。X社で製造した機械を納入先に運び、所定の場所に据え付け、試運転をして相手方に引き渡すのです。 機械が仕様書通りの性能を発揮するように、様々な調整が必要となります。エジプト、タンザニア、ウガンダ、ケニアなどのアフリカ諸国に始まって、パキスタ ン、バングラディシュ、台湾、香港などのアジア諸国・地域、そしてコスタリカ、ニカラグア、メキシコなどの中南米諸国でも仕事をしました。十分な物資がな い中で、決められた期限内に調整を終わらせなければならないという大きな責任を伴う作業だったそうです。
 

企業を代表して派遣されている以上、若いからとか、経験が浅いからといった言い訳は許されませんでした。厳しい環境下でも、高い水準の仕事をやり遂げることができたことが、その後のL氏の職業生活に大きな影響を与えました。


〈与えられた場をいかに使うか〉

  L氏は、たまたまこのような仕事に配属された「幸運な人」だという見方もできます。確かに、人生には運不運があるものです。将来にわたって伸びていく可能 性の高い仕事に配属される人もあれば、技術的に袋小路に入ってしまっているような仕事を担当する人もいます。どのような職場に配属されるかで、その後の職 業人生が決まってしまうのなら、初任配属こそが最も大切だということになります。


 しかし、実際に大切なのは、配属された後の働き方です。L氏が幸運に恵まれたことは確かですが、その機会をうまくとらえて、職業能力向上の糧としたの は、彼自身の意志でした。仕事の場は、企業から与えられるのが一般的なので、こちらから選ぶことは難しいです。しかし、その舞台をどう利用するかは、個々 人に任されています。若年期から、職業人としての価値を高めるような働き方を心がけることによって、中高年になっても第一線で働き続けられるような能力が 身につくのだと言えます。


 「中高年になった自分にそんなことを言われても、もう手遅れだ」なんて言わないでください。人間は、隠れた可能性をたくさん持っています。この連載の初 回に、「自分の中には自分の知らない自分がいる」というお話をしました。何歳になっても、人間の能力は伸びていきます。気づいたときに始めればいいので す。この機会に、与えられた場の使い方をもう一度考えてみてください。

 

ポイント2:早い時期に、仕事上の目標となる先輩や上司をみつけたこと

 L氏と同じX社に勤めるM氏は55歳、勤続37年です。M氏は、高校卒業後すぐにX社に入り、鋳造一筋の職業生活を送ってき ました。M氏が入社した当時のX社では、新入社員は、1年間、座学と現場実習を受けるのが一般的でした。農業高校を卒業したM氏は、耕運機を作ろうと思っ てX社に入ったのですが、実際は鋳造職場に配属になりました。M氏は、入社当時、鋳造に関する知識をほとんど持っていませんでしたが、1年間の実習を通し て鋳造の基本を知ることができたそうです。


 実習を終えたM氏は、鋳鋼の造型職場で働くことになりました。ここで、M氏のその後の職業人生に大きな影響を与えることになるH課長との出会いがありま した。鋳鋼の造型職場では、鋳型を手作業で作っていました。最初に取り組んだ仕事は、X社の大切な取引先であるS社向けの製品に発生する不具合の解消だっ たそうです。H課長の下で、不具合の原因究明と改善に取り組みました。H課長は、仕事に対してとても厳しく、丹念にデータをとって原因を解析していくこと に長けている人でした。M氏は、H課長に言われるとおりにデータを取り、H課長に提出しました。造型職場で働いた4年間で、基本的な仕事の進め方を徹底的 にたたき込まれたのです。


 データに基づいて原因究明を進めるという手法は、次に配属された鋳造技術課で生きることになりました。技術課の仕事は、鋳造方法の改善でしたが、M氏 は、鋳型に使う新砂の割合を50%から10%に削減する方法を考え出したり、溶解の時間短縮方法を編み出したりしました。その後、M氏は、品質管理の仕事 を担当し、社長表彰を受けるような仕事を数多く手がけたそうです。そして、現在は、後進の指導を行う仕事に従事しています。

 

〈人との出会いを大切にする〉


 何か新しいことを始めようとするとき、他の人をまねることが第一歩になります。子供が言葉を覚えるのは、両親や周囲の人が話すのをきいて、まねをするか らです。茶道や華道、落語といった伝統芸能も、師匠をまねることから始まります。職業も同じです。学校を卒業した段階では、職業人としては赤ん坊と同じで あり、最初に入った会社で、職業人としての基礎を習得することになります。そのとき、「あの人のようになりたい」という上司や先輩を持つことができれば、 職業人としての成長は早くなります。

 ここでも、また、運不運の問題があります。たまたま良い上司や先輩に巡り会えればいいが、そうでない場合もあるのではない か、という反論が聞こえてきそうです。確かに、配属の運不運はあります。でも、職場にはたくさんの人が働いているのですから、自分が配属された職場にまね をしたいと思うような人がいなければ、他の職場で探せばいいのです。

 私たちは、日々、さまざまな人と出会っています。ある出会いが人生の糧となるか否かは、その人の感性によるところが大きいと 言えます。感性の豊かな人は、小さな出会いでも活かすことができますが、感性が研ぎ澄まされていないと、大きな出会いでも逃してしまうことになります。結 局は、自分がどう主体性を発揮して、つかみ取るかという問題ではないでしょうか。「職業人として目標にできるような人は、常に自分のそばにいる」というの が真実だと思います。「目標となる人がみつからないのは、みつけられない自分に問題がある」という観点でとらえ直してみてはどうでしょうか。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール