今回は、管理職が部下と日々どのような気持で接すればいいかを考えます。キーワードは、「君がいて助かった」です。相手の存在を認め、一緒にいい仕事を しようとすれば、人は自ずと育っていきます。忙しいことを理由にして、部下と正面から向き合わない管理職が増えていることが残念でなりません。一日に少な くとも一回は部下の存在を認める言葉をかけられる管理職になっていただきたいと思います。
君がいて助かった!
「君がいてくれてよかった。ありがとう。」この言葉ほど、人を幸せな気持ちにさせる言葉はない。職場で上司や同僚からこう言 われて、うれしくない人はいないはずだ。他人から存在を認められることは生きている証(あかし)であり、明日への活力となる。どんなにつらい状況に置かれ ても、この言葉があれば人は乗り越えていける。
仕事に対する誇りは、職場の仲間から認められることから生まれる。「君がこの仕事をやってくれたから、私たちの職場はこれだけの成果を上げることができ た。ご苦労さん!」このように上司から言われると、それまでの苦しい体験や長時間労働は報われ、「またがんばろう!」という気持ちになる。しかし、最近、 この単純なことができない経営者や管理職が増えている。そして、それは、企業経営に深刻な影響を与えているように見える。
多くの企業で、仕事を「標準化」することによって、「誰にでもできる」ようにしようとする傾向が強まっていることは前回述べた。仕事の質を高めていくた めに標準化は必要であり、それを否定するつもりはない。ただ、標準化の結果、「従業員はいつでも代替がきく」と思わせてしまったところから問題が発生して いる。それは、職場の誰かがミスをしたときの注意の仕方に端的に表れている。
上司は、仕事のミスを指摘したついでに、「君がいなくたって代わりの人間はいくらでも雇えるんだよ」と言ってしまう。標準化 された仕事をしているのだから、他の人を連れてきて、その仕事をやってもらうことは理論的には可能だろう。しかし、いまこの時点でその仕事を担当している のは、目の前にいるその従業員しかいないのである。その人にがんばってもらわなければ、仕事は進まない。にもかかわらず、その人の存在を無視するかのよう な表現を使ってしまう。これは、不注意以外の何ものでもない。上司は、励ましのつもりで発した言葉かもしれないが、本人には「自分はどうでもいい人間なん だ、認められていないんだ」という思いだけが残り、仕事に対する誇りを失っていく。
従業員が仕事に対する誇りを失うと何が起こるだろうか。まず、見えないところで仕事の質が低下し、企業の競争力が少しずつ落 ちていく。急激な変化ではないので、最初のうちはわからない。ちょっと変だな、という程度で見過ごされてしまう。それが、貯まりに貯まってくると、ある日 突然、大きな事故やクレームとなって表面化する。仕事が標準化されているのだから、質が低下など起こるはずがないと一般には考えられている。しかし、そこ に落とし穴がある。
仕事は生き物である。毎日同じことをしているように見えても、世の中の変化を反映してわずかずつだが変わっていく。変化に合 わせて仕事の仕方を微調整する必要があるのに、標準化されているからそれが許されない。あるいは、標準化された仕事に慣れてしまって、注意が散漫になる場 合もある。単独で起これば小さなミスですんだことが、たまたま連続して起こったために大事故につながる例は枚挙にいとまがない。担当者のちょっとした心遣 いは、どんなにマニュアル化が進んでも仕事の質を維持する上で不可欠なのである。
仕事に対して誇りを持って働いている従業員ならば、日々のちょっとした変化を上司に伝え、標準化の内容を変更してもらう行動 をとるだろう。それは、自分がしっかりしないと他の人に迷惑がかかるという責任感を持っているからである。正社員かパートかに関係なく、わが社で働いてく れている従業員を尊重し、彼(女)らに力を出してもらうには、日々のコミュニケーションが重要である。「君がいてくれて助かったよ。」この言葉を素直に言 える経営者や上司が増えることを願ってやまない。
投稿者プロフィール

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法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール
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