成果主義を再考する(2)

 一九九〇年代のはじめ、日本経済がバブル崩壊後の不況にあえいでいたとき、職能資格制度を基盤とした人事制度は「年功的だ」という理由で批判された。従 業員のやる気を引き出すには、もっとメリハリをつけた仕組みにしないとダメなのに、積み上げ方式の職能資格制度では有能な従業員を適切に動機づけできない と言われた。


 この問題点を解消し、高い成果を出した人には、それに見合った処遇をすることを目的として導入されたのが、「成果主義的人事制度」である。九〇年代半ば以降の賃金制度改定は、職能遂行能力から成果・業績を基準とする制度への転換であった。

 新しい賃金制度について議論するとき、現行制度で対応できない問題は何か、現行制度が機能しなくなった理由は何か、といった点について、十分な検討が必要である。八〇年代までの日本企業が採用してきた賃金制度は、どこに問題があったのだろうか。

 職能資格制度は、従業員を「職務遂行能力」によって等級に分け、等級ごとに対応する職位や仕事を決め、賃金を決める仕組みで あった。ある職務を遂行したことによって出てくる業績と労働の対価としての賃金は、職能等級を介してゆるやかにつながっていた。バブル崩壊後の不況下で出 てきた問題は、職能等級と仕事のバランスが崩れ、しかも崩れた状態が長期化したことであった。企業の売上げが低迷し、仕事が減っていったため、企業は職能 等級に見合った仕事が用意できず、賃金が業績を上回ることになってしまった。八〇年代以前にも不況時にはこのような状況が見られたが、不況は短期で解消し たため、さほど大きな問題になることはなかった。

 このように考えてくると、職能資格制度を基盤とした賃金制度の問題点は、職能等級と担当する仕事のバランスが崩れ、しかもそ の状態が固定化した点にあることがわかる。この問題を解消する方策として、仕事と職能等級の対応関係をより厳格にすることがあったが、大半の企業はその解 決策をとらず、「成果主義」というまったく別の論理に乗ってしまった。このあたりから、ボタンの掛け違いが始まったのである。

 成果に基づいた賃金支払いという点で職能資格に基づいた賃金制度を論じるならば、「職能資格制度も立派な成果主義であった」 と断言できる。いま、大学を卒業して同じ年にある会社に入った二人の従業員を考えてみよう。二〇年経って、四三歳くらいになったとき、昇進の早い人と遅い 人の間には大きな差がついている。昇進の早い人は、課長職を通り越し、部長職あたりまでいっているだろう。他方、昇進の遅い人は、まだ管理職にもなってい ない。両者の年収を比べると、その差は三百万円から四百万円、場合によってはそれ以上になる。これを「成果主義」と言わずして、何を「成果主義」と言うの だろうか。

 昇進するかしないかは、人事考課によって決まる。従業員は、毎年二回程度評価され、その結果が昇級や役職昇進に影響する。誰 が見ても優秀な人は、昇進スピードが速いし、あまり業績を上げられない人は、なかなか昇進しない。一〇~一五年くらいかけて、複数の職場を経験させ、各人 の適性を見極めた後に決定的な差をつけるのが八〇年代までの日本企業のやり方だった。時間をかけて差を明確にしていく手法がとられていたため、従業員たち は差の拡大を徐々に認識し、納得することができた。時間というコストをかけて、従業員の納得性を確保していったのである。

 「成果主義」は、この点をおろそかにした。複雑な評価制度を作り、第一線の管理職に負荷をかけて新制度を機能させようとしたが、結果は惨憺たるものだった。納得性のない格差は、従業員の士気を下げ、企業競争力を弱くしてしまったのである。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール