制度ユーザーの声を大切にした人事制度改革を考える(中)

結局は総額人件費を下げたかっただけではないか?


 「成果主義」論者たちは、職能資格制度が年功的運用になる点も批判した。あまり優秀でないにもかかわらず、長く勤めていると徐々に等級が上がっていき、 結果として高い賃金がもらえるのはおかしいという主張である。同じような仕事をしている45歳と30歳の従業員を比べたとき、45歳の従業員は勤続年数が 20年を超えており、職能等級も上の方に位置されているため、ある程度の金額の給料を受け取っている。他方、30歳の従業員は、勤続年数が10年に満たな いために職能等級が低く、給料も低い。同じ仕事を担当しているにもかかわらず、両者の給料が大きく異なるのは問題だというのである。


 しかし、そもそも、1980年代までの日本企業の賃金制度は、各時点の賃金額と企業業績への貢献を一致させるという考え方で設計されてはいなかった。 20歳代後半から40歳代前半までは業績への貢献が賃金額を上回るが、40歳代後半以降は両者の関係が逆転し、定年によって両者の貸し借りが精算されるよ うな賃金体系だった。言い換えれば、30年くらいかけて、賃金額と企業業績への貢献のバランスがとれれば良いという制度だったのである。それゆえ、ある一 時点をとって、担当している仕事が同じなのに給料が違うという批判は的はずれなものだった。


 ところが、当時の日本企業には、生き残りのために総額人件費を減らさなければならないという大きな課題があったため、人事担当者は「成果主義」の議論に 飛びついた。賃金を下げることについて、従業員の納得を得られそうな仕組みを提供したのが「成果主義」であった。仕事の成果や業績に基づいて賃金を払うこ とは、あまりにも正論であるため、正面切って反対するのは難しい。企業業績に貢献した分だけ給料がもらえるのなら、納得性は高い。かくして、「成果主義」 が日本企業を席巻することになった。


 従業員のやる気を高めるのであれば、賃金制度改定以外の方法をとることもできたはずである。やりたい仕事を選べるような仕組み(例えば社内公募制)や、 仕事で達成した成果をみんなから認めてもらえる仕組み(例えば表彰制度)は、従業員のやる気の向上に大きく寄与する。しかし、これらの点を強調するのでは なく、賃金制度と従業員のやる気の向上を結びつけたところに「成果主義」をめぐる動きの本質があった。すなわち、総額人件費を合法的に削減できる手法を企 業側は「成果主義」に求めたのである。


従業員が受け入れたのは企業に対する不信感があったから


 企業側の「成果主義導入論」を従業員が受け入れたのは、長期で帳尻を合わせる賃金制度に対する不安があったからだと考えられる。1990年代の半ば以 降、大企業でも倒産する危険性があることを目の当たりにする事件が相次いで起こった。北海道拓殖銀行の破綻、山一証券の自主廃業、日本長期信用銀行の国有 化と売却、雪印の事実上の解体など、「絶対大丈夫な企業はどこにもない」と思わせる事件が相次いだ。長期でバランスをとる賃金制度は、企業が存続していて 初めて機能する仕組みである。若いときには低い賃金で我慢し、中高年になってから高い賃金を受け取るつもりだったのに、そのときには企業がなくなっていた というのではシャレにならない。「いまの貢献度を測定して賃金を払う」という制度は、このような従業員の不安に応える側面を持っていた。


 労働組合は、企業の窮状を理解していたし、従業員と「成果主義」への期待を共有していたために、「これで大丈夫だろうか」という疑問は持ちつつも、「成 果主義」の論理に抵抗することはできなかった。むしろ、経営側と合同で人事制度改革委員会を作り、その中で従業員の希望を表明し、不安を解消するように努 力した。フェアなしくみを作れば、従業員の志気は高まり、企業業績も回復するのではないかと考えたのである。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
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