価値観の多様化と言うけれど…

 価値観の多様化という言葉がよく使われる。人それぞれ考え方が違うのだから、それを尊重しようという意味が込められている。それには大賛成である。いろ いろな考え方を持っている人がいるから、世の中はおもしろいのだし、異なる意見を持っている人と議論することによって自分の考えがより明確になる。しか し、現代の日本社会において、価値観は本当に多様化しているのだろうか。学生を見ていると、価値観はむしろ一元化しているのではないかという疑問がわいて くる。

 学生たちが就職したい企業は名前の通った大企業ばかりである。小粒でもキラリと光る中小企業に行こうという学生は皆無に近い。この点は、昔と何も 変わっていない。むしろ、大企業志向は強くなっているように見える。女子学生の保守化も根強い。出産を機に仕事を辞めて子育てに専念し、子供の手が離れた ら再び働きに出るという考えを持っている若年女性は多い。

 勝手気ままに自分の世界に閉じこもる若者が増えている。でも、それを価値観の多様化と言っていいのだろうか。他の人と意見を 戦わせ、違いを確認し、なぜ違うのかを納得し合うことが価値観の多様化の本質であるはずだ。だとすれば、好き勝手に自分の世界に閉じこもっているのは、単 なるわがままであって、価値観の多様化などでは決してない。

 現代の若者は、他の人と違うことを極端におそれる。みんながいいというものを持ち、みんながおもしろいというドラマを観て、 みんながステキだという音楽を聴く。このどこに多様な価値観があるのだろうか。心の中では「違うなぁ」と思っていても、それを声に出して言わないのが最近 の若者である。

 あえて他の人とは違うことを言い、違うものに価値を見いだし、違う行動を取る人は、1980年代までの方が多かったのではないだろうか。わがままを価値観の多様化と言ってはならない。わがままは、単なる独りよがりでしかないし、そこから新しいものは生まれない。

 では、実態がないにもかかわらず、価値観の多様化と言われるようになったのはなぜだろうか?私は、言葉の響きが悪い側面を覆 い隠す効果があるためだと考える。一人で部屋に籠もって好きなことをするのは、独りよがりであり、わがまま以外の何ものでもない。「独りよがり」や「わが まま」にはマイナスのイメージがある。それを「価値観の多様化」と表現すれば、何かいいことをしているような錯覚にとらわれる。他者を尊重することと他人 に干渉しないことを混同し、面倒なことには関わりたくないという風潮がこの言葉を使わせているように思えてならない。

 価値観の多様化は、共通のルールを受け入れた上で成立するものである。その意味から言っても、わがままや独りよがりとは違 う。現在起こっている現象は、「価値観の孤立化」と表現した方がふさわしのではないだろうか。他者と交わることをせず、切磋琢磨されることもなく、程度の 低い価値観が乱立し、孤立化しているのが現代日本の状況である。

 これを打破するには、どうすればいいのだろうか。他者と価値観をぶつけ合うのは骨の折れる作業である。できれば避けたいと思 うのは当然だ。しかし、引き籠もっていては何の発展もない。批判を恐れることなく自らの価値観を表明し、堂々と議論する覚悟を持つしかないだろう。価値観 の多様化とはつらい社会活動であることを知るべきである。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
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