クロアチアの戦争はなぜ起こったのか?

1989年のベルリンの壁崩壊以降、東ヨーロッパ諸国は社会主義から資本主義に体制転換を行いました。同時に、国の独立が相次ぎました。バルト三国がロシアから独立しましたし、チェコとスロバキアも分離して、それぞれが独立国になりました。

 

他の国々は、平和な話し合いで独立をしていったのに、なぜ旧ユーゴでは戦争になったのか―いろいろなところでよく質問されます

 

詳細な歴史的事実をここで書くつもりはありません。単純化してご説明したいと思います。

 

私は、チェコスロバキアとユーゴスラビアの違いは離婚に似ていると考えています。どちらの側から「別れたい」と言うかによって、紛争になるか否かが決まるという考えです。

 

チェコとスロバキアが平和的に分離できたのは、貧しいスロバキアが豊かなチェコに対して「別れたい」と言ったからでした。逆に、ユーゴスラビアでは、豊かなスロベニアやクロアチアが貧しいセルビアに対して「もう一緒にやってられないから別れてほしい」と言ったのです。その結果、「これまで一緒に築いてきた財産はどうなるんだ」という主張がセルビア側からなされ、紛争になりました

旧ユーゴの首都はベオグラードで、連邦政府の要職にはセルビア人が多く就いていました。連邦予算を支えていたのは、スロベニア、クロアチアといった「先進共和国」でした。セルビア側からすれば、口を開けて待っていれば食べ物が降ってくる状態だったのに、これら2つの共和国が連邦政府から離脱してしまうと困ったことになります。かといって、それを声高に主張するわけにはいきません。

 

スロベニアでの紛争は1週間で終わりました。セルビアとスロベニアは直接国境を接していないことと、スロベニアの海岸線は40?しかないのでうまみがなかったことが理由だと言われています。

 

他方、クロアチアに対しては、容赦ない攻撃を仕掛けてきました。クロアチア内部には、人口比で約15%のセルビア人が住んでいました。また、アドリア海の東側はほぼ全域がクロアチアの領土なので、その一部を手に入れたいという思いがセルビアにはありました。「領土がほしい」と言うわけにいきませんから、「クロアチア国内に居住するセルビア人の権利を守ること」を大義名分として、ユーゴ連邦軍を動かしました。

 

「旧ユーゴで戦争が起こったのは離婚と一緒だ」という言い方をすると、政治学者や社会学者はイヤな顔をします。「そんなに単純ではない」と批判されます

「民族とか宗教は口実に使われたのであって、問題の本質はカネだった」と単純化して説明したほうが、旧ユーゴの戦争を理解するには適切だと思うのですが、読者のみなさんはどうお考えになるでしょうか?

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール