失われた○○年という表現は変だ!

 バブル崩壊後の経済の低迷を「失われた10年」と表現することがよくありました。その後、一時的に景気がよくなりましたが、再び沈んだため、「失われた15年」とか「失われた20年」という表現が使われています。

 

 私は、この表現に違和感があります。責任者が明確でないからです。「失われた」と言うと、まるで被害者のような感じです。こういう表現を使っている限り、日本は良くならないのではないかと思います

 バブル崩壊後の不況の中で打開策を見いだせず、じり貧になっていった企業は、時間と浮揚の機会をを失ったのであって、「失われた」わけではありません。「失われた」と言ったとたんに、自分たちは被害者であって、かわいそうな存在になってしまいます。これは、責任放棄以外の何ものでもありません。

 

 企業が浮揚に失敗したのは、政府の責任でも社会の責任でもありません。経済の動きを見誤った経営者の責任です。事実、不況だと言われる中でも、着実に業績を伸ばしている企業がたくさんあります。

 日本全体の経済運営がうまくいかなかったのは、政治の責任であり、そのような政治家を選んだ私たち国民の責任です。官僚のことがとやかく言われますが、官僚は政治の決めたことを実行するスタッフです。彼らに責任をなすりつけてはいけません。「失われた」という表現は、本当の責任者が誰なのかをうやむやにし、次に打つべき手を曇らせてしまいます

 

 明日のことは誰にもわかりません。最近の円高が1年後にどうなっているか、誰にもわかりません。経営者は、「円高を何とかしてほしい」と政府に泣き言を言う前に、やるべきことがあるはずです。円高は1970年代初めに始まりました。それから40年経とうとしています。対策を打つ時間は十分あったはずです。それができていないのは、経営者の怠慢としか言えません。

 

 私たちも社会の問題を他人事のように考えずに、自分でできることを実行する時期に来ています。何かおかしいと気がついたら、それを改める行動を起こさなければなりません。日本には評論家が多すぎます。傍観者ばかりでは、問題は解決しないと思います

 

 大学で教えていると、大学生の就職活動が歪んでいると感じます。仕事のキラキラした側面だけ見せられ、学生たちはイメージで就職先を決めています。実際に働き始めると、理不尽なお客様はいるし、意地の悪い上司や先輩もいます。自分が就職前に思い描いていた姿と現実があまりにも違うため、「こんなはずではなかった」と辞めていきます。

 この状況を何とかしたいという思いから、今年6月にNPOを立ち上げました。人財育成ネットワーク推進機構といいます。これは、私なりの行動の起こし方だと考えています。ご興味のある方は、次のホームページをご覧ください。http://www.npo-ifhd.com/
 
 

 気づいた人が行動を起こす。そして、行動を起こした人を賛同者が応援する。この繰り返しでしか日本社会は良くならないと思います

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール