書くとは自分の考えを削り出すこと

 仕事柄、文書をよく書きます。書くたびに、自分がいかにものを知らないかを思い知らされるのですが、同時に、「こんなことを考えていたのかぁ」と気づかされることがあります

 

 彫刻家は、大理石を見たときに、その中にかくれている物体を透視できると言いますが、ものを書く人も、書きながら自分の中にあるものを削りだしていくのだなと思います。

 

 

 以前、「カミーユ・クロデール」という映画を観たとき、主人公のカミーユが小さな大理石を渡され、「これで何かを彫れ!」と言われる場面があります。彼女の才能を過小評価した先輩たちの意地悪だったと記憶していますが、彼女は、その石から人間の足を削り出すのです。それはそれは、見事なできばえでした

 

 ものを書くとき、書く前から完成した姿が見えることはありませんが、書きながら徐々に形が見えてくるのは事実です。彫刻家のようにかっこいいことは言えませんが、書きながら「考えていることを削りだしているのだな」と思います

 

 話すことも自分の考えをまとめることにつながります。話しているうちに、自分が考えていたことがはっきりと見えてきたというのは、多くの方が経験されることだと思います。

 

 世の中には、やってみないとわからないことがたくさんあります。自分の考えがまとまらないとき、あまり悩まずに、書いたり話したりしてみるといいですね。きっと、かくれている何かが出てくるはずです

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
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