2011年がもうすぐ終わろうとしています。今年は、多くの自然災害に翻弄された年でした
東日本大震災にはじまり、夏の台風による度重なる水害、そしてタイの洪水と、日本社会は多くの困難を経験しました。来年はいい年になってほしいという希望は、誰の胸にもあると思います。
労働の研究者にとって、2011年は衝撃的な年でした。それは、雇用の現状がいかに不安定かを思い知らされる事件が世界中で起こったからです
その中でも、ニューヨークのウォール街で繰り広げられたデモは、象徴的な出来事でした。機会の平等を追い求めてきたアメリカにおいて、格差拡大とその固定化に"No!"を突きつけ、結果の平等を求めた行動でした。デモ参加者の要求を見ていると、社会主義の理念に近いものがありました
アメリカ社会は「社会主義」を忌み嫌っています。「社会主義者」というレッテルを貼られると、社会的な地位を失い、表舞台から抹殺されてしまうのがアメリカです。その国において、堂々と社会主義的要求を掲げる人たちが大衆の支持を集めました。いろいろな意味で画期的な事件でした。
2カ月にわたってウォール街近くの公園を占拠していた人々が警察によって強制排除され、事態は一応の収束を見ました。しかし、火種は残ったままです。
雇用に対する不安定さは、何も今年に始まったことではありません。ここ10年の傾向と言っていいでしょう
では、なぜ雇用が不安定になったのか。ひと言で言えば、グローバル競争の激化です。インターネットの発達がそれを支えています
例えば、以前は企業に雇われている従業員が、職場に出てきて行っていた仕事を、ネット経由で個人に発注して仕上げてもらうことが可能になりました。人種や住んでいる国は問いません。企業が求める水準の仕事を納期通りに完成させてくれればいいのです。
賃金額は、それぞれの国の生活水準によって決まります。高い教育を受けた旧社会主義国の人たちは、月給500~1000ドルで働いてくれます。仕事の単価は下がり、先進諸国で雇用されている人たちの仕事がどんどん奪われていきました
とは言え、全員の仕事がなくなったわけではありません。他国の人ではできない仕事は、しっかりとその国に根付き、一定額の収入を保障しています。企業経営において他社との差別化をどう実現するかが重要な課題ですが、個人のレベルにおいてもそれが求められるようになりました。
日本においても、残念ながら格差は広がっています。他の人にはできないことができる人と他の人でもできることしかできない人との格差です。弱者を切り捨てることはできませんから、できるだけ弱者にならないようにする仕組みを作る必要があります
私は、漠然とですが、日本が新しい雇用のモデルを創れるのではないかと思っています。雇われて働くのが雇用労働者ですが、これまでの雇用労働者の概念を超えた何かがあるはずだと考えています。これが2012年の私の研究テーマになると思います
2012年が良い年になることを祈りつつ…
投稿者プロフィール

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法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール
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