情報を受け取る力

 久々のブログです。前回アップしたあとに東日本大震災が起こり、沈思黙考の日々が続いていました。2カ月半が経過し、再び発信の時期だと思えるようになりました。

 この間、さまざまな情報が乱れ飛びました。そういった情報を見ながら、こちら側の情報を受け取る力が試されているように感じました。

 

 私は、学生に「真実は一つかもしれないけれども、事実は無数にある」という話を良くします。そこで使う例が「群盲、象を評す」です。

 目の見えない人たちが集まってきて、それぞれに自分が触れている部分の話をします。鼻を触っている人は「象って、長い管みたいだ」と言います。足に触っている人は、「象は太い柱みたいだ」と言います。尻尾に触れている人は「細長いムチのようだ」と言います。それぞれが事実を述べていますが、全体像をつかんでいる人は誰もいません。

 

 私たちが受け取る情報は、断片的な事実です。それらの事実を総合したとき、何が真実かを洞察するのは私たちの力量にかかっています。本来は、マスメディアがその役割を果たすはずですが、残念ながら日本のマスメディアはその力を持っていないことが今回の震災で判明しました。批判されることを恐れるマスメディアは、政府や東京電力の対応の悪さをあげつらうだけで、自らの取材網を駆使して真実に迫ろうとはしませんでした。

 

 情報を受け取る力を磨くには、自分自身の中に判断基準をつくっていかなければなりません。判断基準は、たくさんの情報に触れることによって鍛えられますが、それだけでは不十分です。画竜点睛にあたるものは直観です。センスの良さと言ってもいいでしょう。これは、学習によって習得できるものではなく、ある種の修羅場体験から会得されるものだと思います。

 

 これからもたくさんの情報が洪水のように出てきます。その洪水の中から、キラリと光る事実、私たちを真実への導いてくれる事実を見極めていきたいと思います。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール