日本語力を高めることの大切さ

 言葉は、人間の思考にとって欠かすことのできない道具である。人間は、自分の感情を表現するとき、言葉を必要とする。具体的なモノがある場合はそうでも ないが、感情や抽象思考といった目に見えないものを相手にするとき、言葉が重要になってくる。言葉をたくさん知っていることは、思考が深まることを意味す る。一つの事象を多様に表現できることは、その事象を多方面からとらえることになり、理解が深まる。言葉を持っているからこそ、人間が人間たり得ているの だと言える。

 言葉を自由に操れないと、感情のモヤモヤを整理することができず、キレることにつながる。子供たちの中に自分の感情をコントロールできなくなって 暴力に訴える子がいる。これは、語彙力がないからである。こんがらがった気持を整理できず、それがストレスとなって体内にたまる。それを発散する手段として身体を動かす、すなわち暴力をふるうのである。


 子供は、日々の生活の中で言葉を覚えていく。子供と関わる人たち、特に親の役割はとても大切である。親が多くの表現を子供に語り聞かせ、一つのことをい ろいろな言葉で表せることを教えていけば、その子の語彙は増えていく。本の読み聞かせが大事だと言われる理由がここにある。
 たくさんの表現を聞いて育った子供は、表現力をさらに高めるために自分で本を読むようになる。読書は習慣だと言われるが、まさに親の習慣が子供に伝た わっていく。親が子供と一緒に本を読めば、子供も自ずと本を読むようになり、語彙力もついてくる。


 小学校から英語を必修にしようという動きがあるが、私は反対である。外国語の力は母国語を超えることができない。母国語を中途半端にしか操れない人が外 国語に堪能になれるはずがない。小学校時代は、何はともあれ日本語能力を磨くことが必要である。ただし、英語の発音については、早い時期から慣れ親しんだ 方がいいことは事実である。英語教育と言うよりも、英語の発音に慣れる程度の英語教育であればむしろいいことだと言える。小学校教育は、基本となる言語と しての日本語を自由に操れるようになることを最大の目標とし、その上で余力があれば英語の発音を勉強するのが適切である。


 外国人と話をしていて最もよく質問されるのは日本のことである。日本の政治、経済、文化、歴史など、日本に興味を持っている外国人は多い。彼らが関心を 持っていることにどれくらい答えられるかでコミュニケーションの質が決まる。適当な受け答えしかできなければ、次からは会話の相手として尊敬してもらえな い。これでは、良質なコミュニケーションは成り立たない。例えば、先の参議院選挙で与野党逆転が起こり、これからの国会運営はどうなるかという質問を外国 人からされたとき、自分の中に語れるだけの考えを持っているか否かが重要になる。言葉はコミュニケーションの道具であって目的ではない。大切なのは伝える 内容を持っていることである。


 日本語で語れないことを英語で語るのは不可能である。だから、私は、「英語を話せるようになりたい」という学生に対して「日本語で本を読みなさい」とい うアドバイスをする。「英語で日本について書かれた本を読め」というアドバイスもあり得るが、英語の知識が少ない学生にそれを求めても実効性がない。まず は、一応操れる言語である日本語を使って、自分自身の中にコンテンツを増やすといいという助言である。


 また、日本語で論理的に語れない人は、英語も論理的に話せない。日本語は論理的な言語ではないという誤解があるが、それは日本語を使う人が論理的でない から話す内容が論理的でなくなるのである。私たちの母国語である日本語を磨くことが、何よりもまして重要である。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
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