二つの要素
どの情報が正確でどれが不正確かを見抜けるようになるには、①複数の情報源を持つことと②周辺の状況から総合的に判断できる目を磨くことの二つが必要である。
複数の情報源という意味では、いくつかの新聞を読み比べることが考えられる。同じ出来事でも新聞によって扱い方が違う。2~3の新聞を読み比べてみる と、その出来事についての正確な姿が見えてくる。しかし、毎日のように複数の新聞に目を通して比較をするのはたいへんである。特に気になった出来事につい ては手間をかけられるだろうが、その他のことは流すしかない。ただ、ときどきでいいから、そのような比較の作業をしてみるのは、情報の真偽を確かめる目を 養う上で意味がある。
当事者に聞くこと
最も大切な情報源は、当事者である。ある企業についての記事が出たとき、その企業の当事者に事情を聞くことができれば、より正確な情報に到達する可能性 が高まる。数年前、「キヤノンが定期昇給制度を廃止した」という記事が多くの全国紙に出た。その直後に当時のキヤノン労働組合の賃金担当者に話を聴く機会 があった。彼の話を聴いて、制度改正の内容を正しく理解することができたと同時に、新聞記者の取材のしかたに疑問を持つことになった。
彼は、新聞記者に制度改正の内容をていねいに説明した。定期昇給という言葉はなくしたが、評価が一定以上の従業員(全体の8割程度)は、同じ仕事をして いても評価に応じて賃金額が上昇するしくみは残した。これが制度改正の要点である。一連の説明が終わったとき、彼はその記者に「何か質問はありません か?」とたずねた。その記者は、「ということはキヤノンさんは定期昇給をなくしたんですね」という質問を返してきた。彼はがっかりしたという。1時間にわ たって説明したのに、この記者はいったい何を聞いていたのか、結局は自分が作ってきたストーリーに関係する部分しか聞いていなかったのではないかと思った と話してくれた。
自分なりの判断基準を磨く
あらゆる情報について、その当事者に確かめるのは難しい。たまたま知人がいればいいが、そうでない場合がほとんどである。そのようなときに有効なのが、 自分の経験である。これまで見たり聞いたりしてきたことから自分の中にできあがっている判断基準で、だいたいの当たりをつける。自分の基準から考えて 「ちょっとおかしいぞ」となれば、情報が間違っているという判断を下す。しかし、自分の経験は限られているから、自分が考えている範疇にないことも起こり 得る。その場合は、現在の判断基準を修正するための材料となるので、慎重に推移を見守る。これが冒頭に述べた②である。
たくさんの人と会って話をし、多くの本を読んでいると、自分の中に少しずつ判断基準ができあがっていく。「これさえ読めば大丈夫」とか「これだけ知って いれば怖くない」というスローガンには注意が必要だ。他の人にも認めてもらえるような判断基準は、一朝一夕ではできあがらないからである。判断基準は、多 くの試行錯誤と失敗を重ねることで、徐々に磨かれていく。
常にアンテナを張り巡らせて、いろいろな情報を収集し、それを評価していく。この繰り返しを通して、自分なりのデータベースができ、判断基準が形成され る。この世の中に絶対的な物はほとんどない。すべては相対的であり、事情が変われば真偽も変化する。だからこそ、自分の頭を柔軟に保ち、変化に耐えられる だけの幅を持っておかなければならない。しかし、柔軟なだけだと他の人から信用されない。確固として動かない部分も持っていなければならない。少々のこと では動じない基準と環境変化に合わせて柔軟に変化する基準の両方を持つことが、大人として尊敬されることにつながっていくのである。
投稿者プロフィール

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法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール
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