M&Aと企業文化

見えないけれど大切なもの


 企業は、それぞれ、文化を持っている。つかみ所がないけれども、大切なのが企業文化である。ヒト、モノ、カネ、情報とともに、企業文化は経営資源の一つ に位置づけられている。従業員が日常的に企業文化を感じることはまずないだろう。日々の仕事の中で、企業文化を意識して仕事をしている人はほとんどいな い。では、どういうときに企業文化を感じるのだろうか。


 一つは、どちらでもいいけれどもどちらかに決めなければいけない場面に立たされた時である。企業文化とは、その企業で働いている人たちが「こちらの方が いい」と考える判断基準として現れる。AかBかどちらかの選択を迫られたとき、多くの人が「Aがいい」と思ったとき、そこに企業文化がある。その企業に 入って間もない人には、なぜAなのかはよくわからない。Bでも何ら問題ないように見える。そこで、先輩社員に説明を求めるが、「AだからAなんだ」という 答えしか返ってこない。先輩社員は意地悪をしているわけではない。彼にも答えようがないのである。日々の仕事の中で少しずつ培われる価値観の総体が企業文 化の根幹をなしているので、一言では説明できないというのが正直なところだろう。


M&Aは企業文化を意識させる


 企業文化を強烈に感じる場面が最近増えている。M&Aである。他の企業との合併や提携をするとき、文化の違いを思い知らされる。21世紀になってから、 M&A花盛りといった様相を呈している。M&Aコンサルティング会社レフコの調査によると、2003年の日本企業のM&Aは1828件だったが、2006 年には2775件になった。一日あたり10件近いM&Aが行われている計算になる。


 複数の企業が合併や統合する際にまず問題になるのは言葉である。同じ業種でも使っている言葉が微妙に異なる。例えば、2000年前後にメガバンクの統合 が行われたが、同じ銀行業でもそれぞれ使っている言葉が違ったため、業務で使用する言葉を統一し、新旧の対照表を作るところから作業が始まったという。銀 行は、長らく大蔵省の厳しい規制の下にあり、一挙手一投足をコントロールされていた。その業種でさえ、各銀行で使う言葉が違っていたというのである。規制 の少ない業種においては、その差たるや想像に難くない。


 一つの企業体として活動しようとするとき、社員が使う言葉を合わせておかないと、組織として力を発揮できなくなる。それは、問題に立ち向かうとき、問題 の理解のしかたが異なると組織構成員の力が分散してしまうからである。組織として一つになったのに、構成員の気持が一つになれないのではM&Aをした意味 がない。しかし、意識の統一を難しくするのが、それぞれの企業の中で育まれてきた企業文化である。


大きくなることはいいことか?


 M&Aの流行の根底には、大きくなることがいいことだという前提があるように思えてならない。しかし、本当にそうだろうか。一時、自動車組立産業の世界 で「400万台クラブ」という言い方がされた。「年間の生産台数が400万台を超えていないと、これからの市場競争に生き残れない。自動車組立企業は、 M&Aで大きくなるべきだ。」まことしやかに言われたこの主張も、いつしか姿を消してしまった。世界には、BMWやマツダのように個性的な車を生産して一 定の市場を確保している企業がある。年間生産台数は100万台に達していないが、GMやクライスラーの凋落を傍目に見ながら、快進撃を続けている。問題は 企業の大きさではなく、市場に受け入れられる製品を継続して提供できているか否かである。


 この観点から昨今のM&Aブームを見ると、その底の浅さが気になる。数年後に、「あれは失敗だった」というM&Aがたくさん出てくるのではないだろう か。野村進氏の『千年働いてきました』を読むと、儲かるかもしれないけれども本業からはずれていることには手を出さない企業が長く生き残っていることが書 かれている。


 儲け話はいくらでも転がっている。それに飛びついて、一時的に業績を伸ばしたとしても、必ずその部分から崩れていく。「儲かるかもしれないけど、それは わが社の企業文化に反するからやらない」と従業員が考えることが企業文化である。M&Aも同様であろう。企業文化を破壊するようなM&Aは、結局、企業業 績を低迷させ、虻蜂取らずに終わってしまう可能性が高い。一見魅力的なM&Aだとしても、企業文化を考えてあえて踏み出さない勇気が経営者に求められてい る。

投稿者プロフィール

藤村 博之
法政大学大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授
法政大学大学院 職業能力開発研究所 代表
NPO法人 人材育成ネットワーク推進機構 理事長
詳細:藤村博之のプロフィール