クロアチアについて

クロアチアと私の出会い

クロアチア共和国 イメージ私とクロアチアとの出会いは、1979年に遡ります。

当時は、まだユーゴスラビアの一共和国でした。

名古屋大学経済学部を卒業して大学院に進学した私は、ユーゴ政府の奨学金をもらって、ザグレブ大学経済研究所に留学しました。
1979年10月初旬、成田空港からモスクワ経由でベオグラード(当時のユーゴの首都)に入り、国内線に乗り換えてザグレブに向かいました。
初めての日本出国がソ連のアエロフロート航空で、しかもユーゴスラビアという未知の国への旅立ちでした。

当時のユーゴスラビアは、労働者自主管理という分権型の社会主義を実践している国でした。
ソ連の中央集権型とは異なる社会主義を模索していました。
私は、企業が労働者代表によって運営されていることに興味を持ち、留学を決意しました。

ザグレブ大学経済研究所の図書室に通うようになった私は、そこで働いていた5人の司書(全員女性)の会話を聞いて、「人々の生活感覚は、日本人と同じだな」という感想を持ちました。

彼女たちが、休憩時間に交わす会話の話題は3つありました。
①子供の教育をどうするか、②夫がいかに家事を手伝ってくれないか、③姑との仲がうまくいっていない―
どれも日本人女性が集まると、普通に話題になることです。
社会主義国とはいっても、人々の生活は同じなんだなと思いました。

その後、1991年にユーゴスラビアが分裂し、6つの国に分かれました。
私が勉強したザグレブは、クロアチア共和国の首都になり、約80万人の人口を抱える街になっています。

クロアチアという国とそこに住む人たち

城砦都市、ドブロブニククロアチアは、日本人にとってなじみの薄い国です。
しかし、サッカーのワールドカップで3回中2回も同じグループになったという縁のある国です。

人口は450万人で、福岡県とほぼ同じ、国土の広さは九州と四国を合わせたくらいです。
アドリア海という、とてもきれいな海を持ち、毎年夏には、多くの外国人観光客でにぎわいます。
ユネスコの世界遺産に登録されているところが6カ所あり、その中には中世の城壁都市ドゥブロブニクが含まれています。

宮崎駿のアニメが好きな方には、魔女の宅急便で主人公のキキが修行した町とまったく 同じ町があると言えば、親近感を持っていただけるでしょうか。
ロヴィーニというイストラ半島にあるアドリア海沿岸の町です。

クロアチアの人たちは、日本の田舎の人が持っていた人なつっこさを残しています。そして、誇り高い人々です。
善意と信頼を持って接してくる人には、とても誠実に対応してくれます。
だましたり抜け駆けしたりすることを許さない、愛すべき民族です。

日本のみなさんが、一人でも多く、クロアチアとそこに住む人々の持つ豊かさに触れていただきたいと思います。

リンク

クロアチア政府観光局 https://croatia.hr/ja-JP
クロアチア政府観光局
クロアチア生活情報 http://livingincroatia.web.fc2.com
クロアチアの首都ザグレブから、現地での生活の生の情報をお届けしてます。

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